包茎の手術や治療について、古くから様々な理由から行われてきていたようですが、中でも宗教的な理由から行われていた「割礼」という包皮切除の習慣があります。また、割礼について、宗教的な理由をもたない割礼は「包皮切除」と呼ぶべきとの声もあるようですが、ここでは「割礼」も「包皮切除」も「包茎の手術」あるいは「包茎手術」として紹介したいと思います。
ユダヤ教は宗教的な理由から包茎を認めず、生後7日目に包茎手術を必ず行うことで有名ですが、なぜ、そこまで包茎の手術にこだわるのでしょうか? そこには、ユダヤ人という民族性と水に深く由来すると考えられます。
ユダヤ人はもともと砂漠の民族ですので、水は彼ら砂漠の民族としてのユダヤ人にとって生きて行く上で最も大切なものということだけではなく、「神聖」なものでした。
包茎の場合は恥垢が生じるため、その恥垢(汚れ)を神聖な水で洗い流すことになります。
このような行いは神への冒涜であり、神を汚すことになりますので、包茎手術を行い清潔な陰茎にすることを選んだと考えられます。
また、旧約聖書に登場するヤハウェもしくはエホバが水の神様ということからも水がいかに神聖なものであったかということもわかります。
イスラム教についても、やはりヤハウェ=アラーの神となりますので、同様の理由から包茎手術を行いますが、その時期はユダヤ教とは異なり、時期は生後7日目に行う場合から、10-12歳頃までの場合など幅があります。
年齢が高い包茎の手術は成人儀礼に近いと考えられます。
また、包茎手術を受けていない者が成人後イスラムに改宗する場合は、なるべく包茎の手術を行ったほうがよいとされ、必ずしも強制ではないようです。
キリスト教においても、包茎の手術や治療を元来行っていました。
キリストはユダヤ人でしたので、当然、包茎手術を受けていたため、キリストを信仰するものが、キリストと同じ陰茎になろうとすることは当たり前の発想なのかもしれません。
しかし、キリスト教をユダヤ人以外の異邦人へ伝道する際に、パウロが、「イエスの教えは律法を守ることではないので、包茎手術は必要ではない」と主張し、以後、包茎の手術自体がさほどの重要性を持たなくなったと考えられますが、それに反して教団内では包茎手術を肯定する強い批判もあり、大きな問題となったようです。
ちなみに、カトリックでは、イエス生誕日を12月25日しており、ユダヤ人の包茎の手術習慣から1月1日がキリストが包茎手術を受けた日としているようです。